yuripinがゆく

yuripin 1994年、宮城県仙台市生まれの大学院生(建築学専攻)。大学在学中に、ベトナム、ウズベキスタン、インド、台湾、香港、マカオ、シンガポール、タイ、インドネシア、マレーシア、オーストラリア、イタリア、チェコを旅する。現在は美学的視点から大学院でイスラム建築の文様に関する研究をしている。写真を撮ることが好き。

この曲を聴くと思い出す、あの風景たち

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ビートルズの「Let It Be」を聴くたびに、幼少時代に家族でドライブをしている時の、後部座席から見た風景を思い出す。

幼少期、母の趣味で、我が家のドライブミュージックはクイーンかビートルズと決まっていた。中でも私はこの曲が1番好きで、「えるふぃー、えるふぃー!」(当時の私にはそう聴こえた)とよく口ずさんでいた。場所は新潟のバイパス。時間は日が沈むか沈まないか、といったところ。家族で遠出をした後、車はただひたすらに我が家へと向かっていく。同じような景色が永遠と続く中、両親は話に夢中だし、幼い妹は横で眠っている。そして私もこの曲が終わる前に、気がついたら眠りに落ちるのだった・・・

 

スピッツの「楓」は、以前交際していた人とお別れした頃によく聴いていた。この曲を聴きながら、私はよく近所の池のほとりのベンチに腰掛けていた。「あの時こうしなければ、ああしなければ」ということを考えれば考えるほど、涙が頬を伝った(今考えると、しょうがなかったと思うんだけどね)。私があまりにも泣いているので、散歩中の見知らぬおじさんに励まされたこともあった。池に映る夜景は、あまりにも美しかった。でも、夜景が綺麗であればあるほど、励まされれば励まされるほど、私の涙は止まらなくなった。「さよなら、君の声を抱いて歩いてゆく」というのがこの歌のサビなのだが、歩き出すまでには少々準備が必要だったようだ。もっとも今冷静に考えると、そんなことで泣くなんて可愛いなとしか思わないのだが。

 

爆風スランプの「runner」には、大学1年生の頃の初々しい思い出がある。あの頃の私は、とにかく部活が楽しくて仕方がなかった。ある時遠征で栃木県へ行ったのだが、その時に同期4人で入ったカラオケ店が、ちょっと奇妙なお店だったのだ。私たち以外のお客さんが全員お年寄りだし、部屋には畳が敷いてあって掘りごたつまである。挙げ句の果てにサイドメニューはよくあるたこ焼きやフライドポテトなどではなく、釜飯なのだ。冷静に考えると、主要な客層であるお年寄り向けに独自のサービスを提供しているんだな、で済む話なのだが、当時の私たちは箸が転んでもおかしい年頃。「なんでやねん!」「いや、おかしいやろ!」と、笑いが止まらなかった。その勢いのまま、私はこの曲を熱唱した。そしてサビに入るたびに、同期4人みんなで、狭いカラオケの個室の中、「走る!走る!俺たち!」と熱唱しながらその場で走った。目の前には釜飯がある。隣の部屋のおじいさんが、トイレの帰りに部屋を間違えて入ってくる。もう何がおかしいのか収拾がつかなくなっていたのだが、とにかく全員で呼吸困難に陥るほど大笑いしながらこの曲を歌った。もう二度と来ない、大学1年生らしすぎる風景。

 

あと、宇多田ヒカルの「タイム・リミット」を聴くと、東京の赤羽駅から宇都宮駅まで向かう快速電車を思い出す。1人でぼんやりと18切符で移動していると、乗り込んでくる人々の言葉や雰囲気がどんどん変わっていくことが分かる。東京を過ぎてから1時間。陽も沈んできた。さきほどまで乗っていた緊迫感のある東京の大人たちとは打って変わり、栃木県の純朴そうな部活終わりの男子高校生が続々と乗ってくる。午後6時。朝6時半から始まった私の旅も、残すところあと5時間ちょっと。だいぶ進んできた。宇都宮で駅弁を買いたいけど、買う時間はあるかな。田んぼを照らす光が、だんだんと弱くなっていく。タイム・リミットを聴きながら、ゆっくりと、でも着実に終わりへと進んでいく旅を、私は楽しんでいた。

 

聴いているときは、この曲がいつか思い出になるんだろうな、なんてあまり考えない。というか、「思い出作りに」という名目の下でやったことよりも、特段意識せずに何気なくやっていたことのほうが、深く心に刻まれることが多い。

そう考えるとちょっと皮肉だなとも思うけれど、それでいいんだと思う。これからも日常を大切にしたり、しなかったりしたいと思う。