yuripinがゆく

平渡友理 / Hirawatashi Yuri 1994年生まれ。ライター。大学、大学院では建築学を専攻。国内外の歴史的な建築とイスラム美術、インド美術が得意。卒論は町家の改装について、修論はイスラム建築について。趣味は海外1人旅で、CanCam2020年1月号ではアメリカ1人旅について取材された。現在はライターの他に、日系大手企業で会社員をしている。

プリクラとは何だったのか

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プリクラは、最高の娯楽だった。

 

本格的にはまったのは、小学5年生の時だった。

仲良し5人組で頻繁に近所のスーパーのゲームコーナーに行き、プリクラを撮るようになった。夏休みになるとバスで市街地まで遊びに行き、話題のプリクラ機を1日に何台もハシゴした。当時流行っていたエンジェルブルーの服に身を包み、顎ピースでポーズを決め、「仲仔」とか「愛羅武勇」とか「6-2(クラス名)」とか書いて遊んでいた。中学生になると、中学生になったことが嬉しくて、わざわざ中学校のジャージを着てプリクラを撮りに行ったりした。(今考えると、鳥肌が立つくらいダサい思い出である)

 

そういえば、プリ帳という、手帳サイズのプリクラ専用のアルバムも持っていた。そこには自分のプリクラだけでなく、友達と交換したプリクラもたくさん貼っていた。プリ帳にプリクラが増えるたびに、なぜか嬉しい気持ちになった。

 

なにが、当時の私たちをあれほどまでに熱中させたのだろうか。

可愛く写るから・・・?落書きが楽しいから・・・?

 

 

それらももちろんあるけれど、一番の答えは、単純にその瞬間を形に残したかったからだったように思う。

現在のようにスマホが手元になかった子供時代、友達とちょっと遠くまで自転車で遊びに行ったり、放課後に近くのスーパーのイートインで遊んだり、友チョコを送りあったり、そんな何気無いけど忘れたくない思い出を残す手段はプリクラしかなかった。

妹と写る家族写真はたくさんあるけれど、小学校の友達との写真は、遠足や運動会など、一年のうちわずか数日間のものしかない。あんなに毎日一緒にいたのに。

 

改めてプリクラを見返すと、お年玉をはたいて買ったエンジェルブルーの服をドヤ顔で着ていたり、小学校の体操着を着ていたり、その当時流行っていたエイミーブルーのイラストが描いてあったり、アゴピースをしていたり、クラスの流行語が書かれていたりと、当時の日常が面白いくらいに浮き彫りになっている。そして何より、そこにはもう二度と戻らない小学生の頃の私たちの、気取らない、無邪気な表情がたくさん残っていた。プリクラを眺めていると、遠足や運動会のスナップ写真よりもずっと、懐かしくて温かい気持ちになる。

 

プリクラとは、消えゆく日常への、抵抗だったのではないだろうか。

我々は非日常ばかりを記録に残してしまうが、心のどこかで、日常だって同じかそれ以上に、大切にしたいと思っているのではないだろうか。

 

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